「OKINAWA ART in NY展」にて   芳田詠心

今回、ニューヨークで行われている「OKINAWA ART in NY」展。4月に初めて行った沖縄で出会ったアーティストが出展するとのことで、そのタイミングにあわせてアメリカに入り、オープニングに立ち会うことができた。その様子を少し報告したいと思う。

NYに着いてはじめての朝、ホテルから最大の繁華街タイムズスクエアを歩く。片手に珈琲を持ちながら歩く人々、クラクションを鳴らす黄色いタクシー、異様な光を放つ電光掲示板、至る所で行われている補修工事、と騒がしさに圧倒された。

セントラルパークの近く、57th Streetにある日本クラブビルの1階奥にThe Nippon Galleryがある。沖縄に関わるアーティスト総勢11人によるグループ展「OKINAWA ART in NY」展がオープニングを迎えた。白い壁に囲われた広さ90㎡のギャラリーには、絵画、彫刻、映像、インスタレーションと多ジャンルの作品が並ぶ。その空間に入った途端、日本にいるような妙な安心感と親近感に包まれ、雑多な街からギャラリーまでの道のりまでも作品の一部のように思えた。

展示は第1章 琉球・沖縄の歴史/第2章 アメリカの沖縄美術/第3章 沖縄の戦後美術の3つのパートから構成されているが、順路はそれに従っているわけではない。1918年生まれの作家から、現代活躍するアーティストまで、 時代やジャンルを超えた38もの作品が混在し、ひとつの空間となっている。

特に目を引いたのが、NYを拠点とする沖縄出身のアーティス ト、照屋勇賢による作品「Minding My Own Business」。この作品は作家自身が3.11の震災直後からスタートさせたプロジェクトの中の作品である。NYの新聞「The New York Times」の表紙写真から切り取られ、上に向かってのびるいくつもの新芽。その新聞には日本での原発や放射能についての記事が掲載されていた。

震 災から1年と3ヶ月経っても先の見えない原発問題や震災後のこと。何度考えようとしても解決策が見当たらず、思考を停止せざるを得ない状況に途方にくれ る。そんな気持ちのまま日本を離れ、遠く離れた場所から、ここからどう考えたらいいのかという私の思いを、この作品は結んでくれたように思う。まだまだ考 え続けることができる、と。そして、現在もまだ続いているこの戦いを、決して忘れてはいけない、あきらめてはいけないということを。それと同時に、日本の 皆にもこの作品をみてほしいと思った。

The Nippon Galleryでこのような日本クラブ主催の企画展は初めてだそうだ。普段は伝統的な芸術の発表、日本クラブの会員の推薦による展覧会が多いという。レセ プションには日本クラブの会員だけでなく、NYで活動するアーティスト、NYに在住の日本人、そして沖縄に関心のある外国人など、多くの人が集まった。 「いつもいらっしゃる方だけでなく、初めて来られた方も多かった。そして外国の方が多かった印象を受けた。」と受付担当のスタッフは言う。会場では出展作 家の阪田清子が、来場者からの質問に答え作品の解説していた。話は作品から、沖縄との関わり、沖縄での経験へと広がり、個々の中にある「沖縄像」を共有し ているようだった。

アートの街と呼ばれるこの街で「OKINAWA ART」が、日本のアートがどんな役割を果たすのか。どんなつながりや批評を生むことができるのか。そして日本にどのようにアプローチをすることができる のか。世界に発信していくことができるのか。この展覧会を通して、それぞれに新しい芽が生まれ、ゆっくりと営みをはじめたように思う。

 

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芳田詠心 Eishin Yoshida

プロフィール

1987年東京生まれ。明治学院大学文学部芸術学科芸術メディア専攻卒業。
大学時代にNPO法人remoに出会い、remoTOKYOの活動を始める。
卒業後、NPO法人アートNPOリンク事務局員としてアサヒ・アートスクエアの運営管理を行う。
2012年6月より渡米。試行錯誤をしながら新しい日常に向けて暮らしをスタートさせる。

 

「OKINAWA ART in NY展」について